事件を振り返って 3

 

「檻の中の日々」

 

[『泥ウソ』国賠原告 丸一俊介]

 

留置場に入れられた時は、もうあまり動揺していなかったように思う。

そもそも「なぜこんな目に…」と嘆いても何の意味も無かった。それよりも、連日の取調べに耐え抜くこと、自分を犯罪者に仕立て上げようとする圧力に抵抗することに集中しなければならなかった。今振り返れば、留置場の暮らし(とすら言えないが)はすごく異質で、耐えられないように思う環境だったが、その時の自分は、それらにいちいち反応するのは止めていた。通常の感覚で言えば「ひどい」とか「こんなとこじゃ暮らせない」と思うが、「そこにいることそのもの」が不当だと考えていた自分は、通常の感覚で捉えることはできなかったし、捉えようとも思わなかった。「外に出たい」と思うよりも「外に出せ」と思う。「自分がそこに入れられていること」を受け入れない。それが不当にも留置場に入れられた自分の考え方であり、留置場にいる間の「心の芯」のようなものだった。毎日の圧力に耐え抜こうと思えば、その芯を支えに踏ん張ることが必要だった。

一方では違う感覚もあった。4月30日に留置場で書いたノートには「自分としては話しに聞いていただけの留置場ぐらしや警察での取調べを実際に体験してみようという研究心でのりきっているつもりだ。でもその研究心でこのまま持つのか?と言う疑問もわいているのだが、それすらも興味深く見つめていきたいものだ。」と書いている。あらためて読んだが、これには自分の事ながら感心する。今から思えば、「不当だ」という強い思いのある一方で、こういう「引いた」というか少しふざけた感覚をもてた事が強かった。22日間の中で途中苦しくなる時期もあったが、「これが取り調べなんだなぁ」とか「やっぱりこういう風にくるしくなるんだよなぁ」といった風に、引いた視点で事態を眺めることで、ずいぶん冷静になれた。

 


留置場に入れられる時、まずやられるのが、身体検査だ。服を脱がされ、Tシャツとパンツ一枚にされて体を調べられる。その時、名前や病歴などを聞かれるが、「逮捕そのものが不当」という気持ちで頭が一杯だった僕は、「何も答えない」とだけ言った。以後、僕は留置場の房番号である「11番」と呼ばれる。下手に名前で呼ばれるよりは、なじまない分気が楽だった。

 

留置場の朝は早い。朝6:30に起床し、布団をたたむ。それが済んだら朝飯だ。留置場の鉄格子につけられた開閉式の小さな扉から飯が入れられる。まるで「えさ」のようだ。その時運んできた係官から「ソース?しょう油?」と聞かれる。それを選ぶことが留置場で与えられた唯一の「自由」だ。僕は「両方。」と答える。留置場の飯は、弁当屋の安い弁当のようだ。揚げ物ばかりでだんだん飽きてくる。

 

 

運動の時間が終わると、連日取調べが入る。係官から「調べだ」と言われ、鉄格子が開かれる。その時手錠をかけられ、腰なわをつけられる。それがいつもいやだった。毎日のことだから慣れてくるが、慣れてくることが馴らされているように感じていやだった。

取調べでは、毎日罵倒された。警察は何とかして「犯罪の事実」を作り出そうとして脅したり、罵倒したりした。僕の意思は関係なく、とにかく「監禁・強要した」と言わせるためにやっていることだから、言い返しても何の意味も無い。黙っていると勝手にどんどん話がエスカレートしていく。「黙秘している」⇒「黙秘するのは過激派のやることだ」⇒「お前は過激派だ」⇒「一生内ゲバにおびえて暮らすのか!」⇒「今ならまだ間に合うぞ」…。ある日、取調べが終わり、若手の刑事(その若手は体が異様にでかく、剣道、柔道の有段者であるらしく、僕は心の中で「キンニク」と名付けていた)に連れられて留置場に戻るときのことだ。その若手は、僕の方を優しくポンッと叩きながらしみじみした顔つきでこう語りかけた。「やり直すことなんていつでもできるんだぞ」…。頭がおかしくなりそうだった。

そんな毎日だった。取調べのたびにやりきれない気がした。そこが留置場でなければ誰かと話すことができるのに、誰とも話すことができなかった。毎日、声に出せない怒りの感情がおなかの中で膨らんでいく感じだ。だからノートを購入した。毎日ノートにその日起きたことや思ったことを記録していた。そうやって書いていると、ずいぶん気が落ち着いた。自分で自分と会話するようなものだったからだろう。普段は日記をつける趣味は無いが、この時はそれでずいぶん救われたと思う。冒頭に書いた「引いた感覚」を持てたのもこのノートのおかげだ。書いたものを読み返すことでそういう気持ちになれた。

絵も書いた。ノートには「怒」とか「いいかげんにしろ」といった言葉がずいぶん出てくるが、もう言葉にすら言い表せない時もあった。だから絵を描いたんだろう。普段は特に絵を描くわけではないが、自分の意思を表す方法が「黙秘」しかない状況では、絵に表現するだけで何だか落ち着いた。

 

 

取調べが終わると、昼飯の時間だ。昼飯が終わると取り調べ。それが終わると夕飯で夕飯が終わると取り調べ。それが連日続いた。ただ、夕食の時間は、留置場内にラジオがかけられる。音楽が聴けるのはその時だけだ。夕食を食べながらラジオを聴くのが日課となっていった。最初は気が張り詰めていたせいか、ラジオを気にすることも無かった。だがある日のこと、何となく聞いてみようと思って耳を傾けた。ラジオで「和田アキ子」特集をやっていた。「あの頃は」(?)が流れていた。「意外といい」と思った。たぶん何も刺激が無かったからだろう。次の日は「ジュリー(さわだけんじ)特集」だった。「TOKIO」が妙に騒々しかった。

 

 

夜九時には消灯の時間になる。各房ごとに順番に扉が開かれ、布団置き場に布団を取りに行く。この時運が良ければ、一緒に逮捕された仲間を見ることができる。4人は各警察署に分散して勾留されていたが、僕とその彼は同じ山形署に入れられていた。普段は一切出会わないし、見ることもできない。ただ、僕の部屋は留置場の端にあって、端の奥にある布団置き場に近かった。僕が房の壁際にいると、そいつが布団を取りに行く時、一瞬だけちらりと姿を見ることができるのだ。それを発見したときはとてもうれしかった。相手に気づいてもらおうと「よおっ元気か!」と声をかけたら、こっちを見た相手と目があった。2回目からは相手もわかっていて、僕が声をかけなくてもこっちを見ながら目配せして通り過ぎていく。係官に注意されるから話ができるわけではない。でも僕はそれが楽しみで、毎日布団を取りに行く時間になると房の金網に張り付いて待った。同じ逮捕された仲間の存在を感じることができるのはこの時だけだ。

 

 

逮捕されてから、他は相部屋なのに僕だけはずっと独房だった。半ばごろを過ぎたある日の真夜中、逮捕された人が僕の房に連れられてきた。朝目覚めてから隣を見ると、その人が寝ていた。その人が寝返りを打ったとき、むきだしの背中が見えた。「入れ墨」がびっしりと彫られていて、正直言って「あちゃ〜」と思った。どんな人なのか心配だったが、相手も気を使ってくれて、心配することは無かった。お互い突っ込んだ話はもちろんできないが、世間話を適当にするだけでいい気晴らしになった。外から僕の激励のために寮生がマイクで「ガンバレー」と叫んでいるのが聞こえてきた時、「学生も頑張るねぇ。ああいう仲間がいていいね」と言われた。なんとなくだが、「同じ逮捕されたもの同士」とでもいうような妙な親近感をお互いに持っていた気がする。

 

 

 

逮捕されてから17日間が過ぎた512日。勾留理由開示公判が開かれた。「勾留を決定した裁判所が、その理由を被疑者に明らかにする」のがこの公判だ。前々から弁護士にやると告げられていて、とても楽しみにしていた。その日だけは、同じ逮捕された3人に出会える、そして傍聴に来る寮生や支援の人たちにも会えるからだ。逮捕されて以来、みんなと会うことはできず、想像することしかできなかったから、実際に顔を見ることができるというだけでわくわくしていた。裁判所に連れられていき、まず3人と会うことができた。お互いに自然と顔がほころんでいた。まだお互いの両手には手錠がかけられていたし、釈放されたわけではないから、はしゃいだりはしなかったが、とにかくうれしかった。お互いに直接何かができるわけではないが、ただその存在が支えになっていた。顔を見て「元気か」と一声かけるだけでもうれしかった。公判ではソファーに並んで座らされた。3人が近くにいるのがとても心強かった。

法廷に入ると、傍聴席には寮生や支援に来てくれた人たちがびっしりと座っていた。こうした外のみんなが日々激励し、弁護士を通じて手紙をくれることが、どれほど支えになったか。とても言い表せない。たくさんの人がいたが、できるだけ多くの顔を見ようと目で追った。公判の最中もそうだった。公判なので話すことはできないが、寮生たちの目が僕に語りかけていた。

公判の最後には意見陳述が予定されていた。僕は4番目に話すことになっており、前の3人が話し終えるごとに握手した。握手できることがうれしかった。自分が何を話したかはあまり覚えていない。話し出すとそれまでためにためていた怒りの感情が止めども無くあふれ出てきた。一応事前に何を言うか考えていたけどすっかり忘れ、ただ「不当逮捕だ」と言い続けた。

公判が終わり、僕の両手にはまた手錠がかけられた。最初からその時限りと分かっていたが、それでも3人と、そして寮生達と引き離されることに抵抗を感じた。万が一起訴されたら、もう1年も2年も会えなくなるかもしれなかった。だが、留置場に連れて行かれようとしたその時の事だ。傍聴に来ていた寮生達が、退廷を命じる廷吏の目もいとわず、連れて行かれようとした4人の近くまで駆け寄って来た。僕達と彼らは、法廷の柵越しにがっしりと握手した。

 

 

 

 

勾留期限が終盤に近づいてくると、いよいよ「起訴」のことが頭をよぎるようになった。結局釈放されるのか、それとも起訴されるのか。「起訴させない」一心で耐え抜いてきたことを考えれば、釈放以外の結果には到底耐えられない。取調べで苦しかったときも、やりきれなくなるときは「釈放されたイメージ」を考えて乗り切ってきた。それは、一人一人と握手をし、皆で喜んでいるイメージだ。それがガラガラと崩れ去るときが来るのかと思うたびに「そんなことは無い」とすぐに打ち消した。勾留期限の3日前ぐらいは、それまで20日間ぐらい続いた連日の取調べで、精神的にもとても苦しかった。そんな状態だから「起訴されるのかどうか」で頭が一杯になることもあった。「釈放される」というすごい期待感と「もしかしたら出られないかも」という絶望的なイメージの間をひたすら思考が反復する。この時期のノートには「釈放」「起訴」という文字が二つ並んで馬鹿でかく書いてある。ただ、期限の一日前になると、不思議とそうでもなくなった。たぶん考えても何もできないことがわかったからだと思う。最終日の前の晩のノートには「どうなろうが投げずに行きたいものだが…明日を待つことにしよう」と書かれている。そんな感じだった。やることはやった。ここまできたら、結果に対して何の影響も与えることのできない自分にできることは、出される結果に対して受け止めるための心構えのみだった。第一、釈放されるかもという期待感ばかり膨らませたら、逆の結果が出たときに目も当てられない

 

 

 

 最終日の検事取調で、「君を釈放します」と言われた時は、「うおぉ」と思った。「うれしい」とか「やった」とかじゃなく言葉にできない「うおぉ」だ。「本当に釈放されるまでは期待しちゃいけない」という気持ちもあった。しかも「今後、大学とやりあってまた問題を起こしたら処分に影響するからそのつもりでいるように」と言われたのでなおさらだ。だが、釈放と言う結果を前に余裕がでてきた僕には、心なしか検事の顔も悔しそうに見えた。その顔を見ながら、口には出さなかったが「勝った」と思った。

「うれしい」と感じたのは、検事調べが終わった後のことだ。自分を不当に逮捕し、犯罪者にしようとしてきた警察や検事から「釈放します」と言われても「そんなの当然だ」という気持ちもあったが、それでも「うれしい」と言う気持ちは抑えようが無かった。取調べが終わった後は本当にうれしくなった。留置場で荷物を片付けているときも、同房の人にお別れを言うときも、うれしい気持ちでいっぱいだった。心も体もはずむって感じだった。特に留置場から出て、一緒に捕まっていた仲間と出会い握手した時の喜びは、なんと言ってよいか分からないほどだった。

 

 釈放されて警察署から出たとき、外の景色の広さが凄く新鮮だった。特に空がひろかった。「外枠の無い景色」だと思った。逮捕されていた間は「鉄柵」や「護送車の窓」から見る景色ぐらいしか見ていなかったからだ。春の風を感じることもとても心地よかった。

学寮に帰って寮生と会い、逮捕された3人と会った。寮の周囲を散歩しながら、逮捕されていた時のことを話し合った。みんな喜んでいて笑いっぱなしだった。

 

 


 僕は、大学の違法行為を突き止めたことによって、無実なのに逮捕された。今回このパンフを書くにあたって、久しぶりにじっくりと当時のことを思い返してみた。あまりにもよく覚えていることに気づき、僕にとって本当にすごい体験だったんだなあとあらためて感じた。この事件は、たぶん生涯に渡って影響のある体験だと思う。

当時のノートを読んで、あらためて山形大学と警察のひどい仕打ち、そしてその時の怒りや納得のいかない気持ちがよみがえってきた。大学や警察が逮捕したのは、感情もあり意思もある生身の人間だ。こんな風に生身の人間を追い込んでいくことが許されていいわけがない。自分の罪をもみ消すために、寮を廃寮に追い込むために、大学は生身の人間を踏みにじったのだ。僕は彼らを許さないが、何の権力も無い僕には彼らを踏みにじることができないし、やるつもりも無い。しかし彼らはそれができたし、現にやった。それが権力犯罪たるゆえんだ。そして今現在も彼らはその権力を行使し続けている。だから、この事件は、釈放されたからといって終わる話ではないし、個人的に解決できる問題でもない。だからこそ僕達は今も国賠をやっているし、こうしてパンフを作り、心ある皆さんに呼びかけている。

 

自分の受けた体験を直接伝えることはできないが、これを読んで想像してもらうことはできるんじゃないだろうか。このパンフを読んでくれた人が、山形大学の犯罪のひどさ、そこで翻弄された人間の生身の感情を少しでも分かってくれればと思う。

(以上)

 

ページトップに戻る


[PR]≪占い奇跡の恋愛術≫初回無料:幸せな結婚へ導きます。本格結婚鑑定