
「自白強要された22日間」
[『泥ウソ』国賠 原告 山谷 晃仁]
2000年4月25日の早朝に逮捕された私は,まだ残る眠気と驚きで,頭が混乱した状態のまま,手錠を掛けられ,車に乗せられて山形警察署に連行されました。
警察署に到着すると,私は建物横の通用口から署内に入りました。この通用口を出入りするのは実は2度目で,1度目は盗難された自転車が見つかったとの連絡を受け,自転車を取りにいった時でした。その時は喜びの気分で出入りした通用口から,今度は手錠をされたまま入ることになるとは夢にも思っていなかったことで,何か幻を見ているような気持ちになったことを覚えています。
混乱し,頭が整理されなかった私は,その後の警察における手続きにもそのまま従っていました。最初に,自分の経歴や家族の名前,また弁護人選任に関することを警察官に聴取され,弁解録取書という書面に記録されるのですが,気がついたらそのまま答えている状態でした。「いけないいけない黙秘だ」と思っても,矢継ぎ早に聞かれるなかで,答え始めたものを止めるのはなかなか難しかったです。結局,話が寮の事に及んでから,私は黙秘を始め,さしてとがめられもせずに終わりましたが,それはそれで不自然な態度を見透かされはしまいかと,心臓はバクバクしていました。
その後の手続きも,私の気持ちを萎えさせました。指紋の採取と写真撮影です。指紋は,機械の画面に手を当てて採取されるのですが,聞けば,その機械は全国の警察署に繋がっており,一生記録されるとのこと。写真撮影も,いわれるがままに正面,右,左と向きを変えて撮影されます。これらは,予め「拒否できないから」といわれており,嫌なんだけど断れない状況が手続きを通して徐々に築かれている感覚を覚えました。「お前はそういう立場なんだよ」と確認させられているような感じです。
こうして,初期段階の手続きが終わると,私の身柄は移送されました。移送先は,山形市の南に位置する,上山市にある上山警察署でした。逮捕された4人は,それぞれ分散して拘留され,取り調べを受けることになったのです。
上山警察署に移ってから,私は初めて弁護士と接見する機会を得ました。私はそれまで,混乱しながらも,弁護人を早く呼んでくれという希望だけは警察に強く主張していました。自分の今後の対応について一刻も早く相談したかったのです。自分が上山警察署にいることを,他の寮生にも伝えてほしいとも思っていました。ですから,接見は待ち望んでいた機会だったのです。ところがこの接見後,私の頭は更に混乱することになりました。
接見に来てくれた弁護人は,当番弁護士の方でした。嫌々来ている事がありありで,冒頭から,「誰もいなくて最後に私のところに電話が来たから」「私も忙しいんだよね」と言われてがっかりした事を覚えています。私が黙秘の事を相談したら,「意味ないから喋っちゃいな,まあやりたいなら止めないけど」と言われ,何の相談にもなりませんでした。むしろ,今後黙秘したほうがいいのかどうか,一層混乱しました。最後に「どうする?このあと選任する?」と言われましたが,いい加減さが鼻につき私は「もういいです。仙台の舟木弁護士と他の寮生に居場所だけ連絡してください」と,ぶっきらぼうに言いました。結局,その弁護士は連絡すらしてくれなかったようです。こうして最初の接見は不安だけが増す結果となったのです。
逮捕初日から取り調べは始まりました。取調室では,私はパイプ椅子に座らされ,椅子と左手を手錠で繋がれた状態です。私の左手に若い警察官が,正面にベテランの警察官が座っていました。3人入ると取調室は一杯です。最初にベテランの警察官は私にこう言いました。「俺が調べた奴で,黙秘を通せた奴はいない。黙秘しきれると思ったら大間違いだからな」と。混乱していた私は,ここでも最初,自分の経歴について黙秘出来ませんでした。先の当番弁護士との接見後,自分が何故黙秘するべきなのかすら分からなくなっていました。それでも,調書に署名・捺印する事だけは拒んでいました。
しかし,その後いざ事件に関する取り調べに入ってからは,私は黙秘することを選択しました。それは,警察は私の言い分などハナから聞く気も無いことがはっきり分かったからです。警察の取り調べは「お前は清掃員に謝るしかない」と,最初から全てがこういう調子できました。ですから私は「何を言っても無駄なんだな」と思って黙秘権を行使することにしたのです。すると警察は大声で怒鳴るんです。「謝る気は無いのか」「ごめんなさいも言えないのか」「すみませんと言ってみろ」「お前のような奴は人間失格だ」と。段々声が大きくなって,最後は取り調べの警察官2人で左から前から「謝れ!」「山谷!」を合唱しているような状況でした。毎日,事件に関係ないこと(例えば,今日は何月何日だとか,桜が咲いてきたとか)から話は始まるのですが,事件に関係した話に入ると,結局怒号が響くことになりました。
その声は留置場まで響き渡っていたようです。1日の取り調べが終わった後,留置場の係官に「今日も大変だったね」と言われる有り様でした。「話すまで煙草はだめだ」とか言って,取り調べ中,煙草が取り上げられることもありました。それでも若い方の警察官は,ベテランの警察官のことをさして「あの人は仏と言われているんだぞ」と言うのが日課でした。しかし私にとって,もはやそれは「取り調べ」ではありませんでした。夜の取り調べが終わって,他の人が既に寝静まった真っ暗な留置場に戻り,自分の布団にもぐり込んでも,まだ頭の中では怒号が響いてくる感覚があり,眠れないこともありました。これが連日続くことになったのです。
取り調べは,午前は9時から12時まで,午後は13時から17時まで,夜は19時から21時までで,1日8時間から9時間,土日も関係なくほぼ毎日行われました。警察官が取り調べに来ると,留置場の扉が開いて,呼び出しの書類が留置場の係官に渡されます。すると,留置場の係官が私の房の前に来て「4番(私の留置番号)!調べだ」と言うのです。他の番号が呼ばれることは滅多にありませんでした。ですから,私は留置場の扉が開く音が聞こえるたび,反射的に嫌な気分になったものです。
警察の取り調べとは逆に,検察の取り調べは平穏なものでした。私を担当した若い検察官は,熱血教師のような人で「君にも言い分があるのだろう。正しいと思うことなら言うべきだ。僕は両方の言い分が聞きたい」と言ってきました。それは警察よりはまだまともな対応とも言えましたが,私にはそれが嘘臭いものにしか見えず,言われたとき思わず笑ってしまったのを覚えています。結局私は黙秘したのですが,検察官が怒ることはありませんでした。いま思うと,警察が怒り役で,検察が落とし役だったのかなという気がしています。
こうした取り調べが22日間続きました。この間私は事件に関係する事には黙秘を続けましたが,継続するのは非常に大変な事でした。警察に言われるだけ言われると,頭に血が上って興奮してきます。黙秘を止めて,よっぽど言い返してやろうかとも思う訳です。それが警察が口を割らせる手段だと分かっていてもです。日常において,人に聞かれたら答えるのが当たり前という認識は,たやすく切り換えられるものでもありませんでした。事実,警察にそう言われた時が一番悔しかったことを覚えています。
私たちを逮捕すること自体がおかしいという事を考えれば,警察や検察が私たちを犯罪者にする目的で取り調べをしている事は明白です。裁判になっても,調書は検察にとって有利なものしか使われません。しかし,こうした事は,毎日警察官や検察官とだけ会い,1人だけで考える状況では認識しにくいものです。もしくは認識が揺らぎやすいと思います。事実私の認識は取り調べ初期の段階ではかなり揺らいでいました。警察の取り調べのやり方次第では,事実にない自白をしていた可能性は十分あったと思っています。それでも,こうした危険な状況を何とか回避することができたのは,逮捕から3日後に弁護人に付いてくださった舟木弁護士,遠藤弁護士,松下弁護士,阿部弁護士との連日の接見があったからです。この接見の場で,今回の逮捕の問題や警察の目的等を幾度も確認しました。それによって,黙秘という自分の対応手段が妥当である事を繰り返し認識できた,この事が一番大きかったと思います。また,接見の場で,他に逮捕された寮生の状況や,寮に残っている寮生の状況を知ることも,取り調べに冷静に臨むことが出来た要因です。
ですから接見室に行くのはすごく嬉しい事でした。別世界です。接見室の床には,じゅうたんが敷いてあって,照明も明るくなっています。接見時は手錠もありません。但し,話は透明なプラスチック板を挟んで行われます。しかしそれすら,留置場の檻や網に見慣れた私にとっては,非常にいい環境に思えるから不思議です。目の前にいるのが警察官や検察官ではない状況も,特別な出来事です。しかも,接見は取り調べを中断させますから,それだけでうれしかった事を覚えています。警察も接見で取り調べが中断されると,非常に嫌な顔をしていました。私としては,出来るだけ長く,弁護士に接見室に居てほしいと思うこともありました。
こうした弁護士や支援の人々の支えによって,私は過酷な取り調べを何とか日々くぐり抜け,拘留期限が近づいてきました。そして,逮捕から22日後,私は処分の結果を聞く為に検察庁に送られます。正直,起訴を覚悟していました。何故なら,5月12日に行われた拘留理由開示公判で,裁判長は「4人は学生で,親元を離れて暮らしているから,罪証隠滅・逃亡の恐れがある」という無茶な理由で拘留延長を認め,理由もなく「容疑事実はあった」などと言いだしていたからです。こんな事がまかりとおるのが司法の世界なら,私が起訴されるようなあべこべの事もあり得ると思っていました。
しかし,結果は処分保留で釈放でした。私が思わず,検察官に「4人全員ですか!」と聞くと,検察官は「他の人の事は言えません」と言いました。しかし私はどうしても聞きたくなって,「どうして言えないんですか。教えたっていいじゃないですか」と言ったら,検察官は「君は私がそういって質問したら答えなかったくせに!」と言ってきた事を覚えています。結局4人全員であることを伝えられました。その時のうれしい気持ちは表現できません。しかし同時に,不起訴が確定するまではまだ喜べないと自分を戒めた事も覚えています。
釈放が確定したあと,最後の取り調べがありました。警察はもはや事件に関する事は話しませんでした。ただ言ってきたのは「大学に抗議するような自治会活動なんて止めろ。もうこれでこりごりしたべ。河原のごみ拾いでもしたほうが世の中の役に立つんだ」ということでした。逮捕の目的を表すようなこの一言は,私にとって非常に印象に残っています。
逮捕されてから22日後の5月16日,釈放され,警察署の2階にある留置場から1階の中央階段を降り,正面玄関から出たときの光景はいまだに忘れられません。
(以上)